大龍小の校歌にも出てくる学僧文之です。大龍小の前身である。「大龍寺」の開山和尚だったのだそうです。また多くの知識で薩摩藩の発展に尽くした人物なのです。

学僧文之

分之和尚は弘治元年(1555年)日向飫肥南郷の外浦(現宮崎県南郷町)に生まれ13歳のとき串間の竜源寺に入り,一翁より禅(臨済宗)と儒学を学び。明(中国)の黄友賢(江夏友賢)に五経周易の宋学を学んだ。
 のち,第16代太守島津義久,第17代義弘,第18代家久の三代に仕え,文教の振興に尽くす一方,藩の政策・外交に重要な役割を果たした。その間,加治木の安黒寺,国分の正興寺の住職となり,さらに,鹿児島城下,もと内城の地に家久が大龍寺を建てたとき,当時の開山住職となった。
 分之和尚は,朱子学にも秀でて,桂庵禅師らの四書倭点(倭訓)を改良した「分之点」を創始し,「南浦文集」「四書集註」「周易談義」など漢語に訓点を施し,日本儒学の発展に貢献した。
 著書には,天文12年(1542年)の種子島への鉄砲伝来の様子を一部に記している。
 墓は昭和11年9月3日に国の指定記念物として指定された。(加治木町安国寺にある墓前の説明書きより)