史跡探訪

日枝(ひえ)神社
近江国(滋賀県)坂本の日吉大社から分霊を移し,日枝神社とした。坂元町の名も,近江国坂本からとったものといわれている。馬頭観音石像が1基あり,川添の住人の寄進である。
馬頭観音
杜山平(もいやんひら)に3基の祠(ほこら)がある。牛馬で田を鋤き畑を耕していたところ,この杜(もり)で,農作・牛馬の繁栄・村人の無病息災を願って,春祭りをした。
催馬楽碑
催馬楽(せばる)の地名は,昔この地に住んでいた隼人族が,古代歌曲の一つ「催馬楽(さいばら)」という神楽(かぐら)を演ずるならわしがあったことからとされている。隼人族はこれを宮廷で奏でた。碑の近くのおとん山では復元隼人舞が演じられる。
矢上城跡
南北朝時代,南朝方の矢上高純の居城。催馬楽城とも呼ぶ。坂元一帯を治めていたらしい。矢上氏は長谷場氏と共に,北朝方の島津氏に破れた。跡に表忠碑もある。
馬頭観音
杜山平(もいやんひら)に3基の祠(ほこら)がある。牛馬で田を鋤き畑を耕していたところ,この杜(もり)で,農作・牛馬の繁栄・村人の無病息災を願って,春祭りをした。
水神様(碑)
田の用水路口・井戸・川・湧水池等に祭られている。川添には5基(用水路口3,井戸1,田の見える高台1)。上竜尾〜竹公園北の高台にも1基ある。
田の神様石像
1816年(文化13年)の作。田の神石像は南九州独特。稲の豊作を願って,江戸時代から作られた。田の見える高台に多い。川添に田の神舞型が1体ある。
川添鎮守神社
上川添の鎮守神社。昔,人々と共に吉野町実方の小字・鎮守ヶ迫から移した。祭神は大国主命六月燈は7月17日,方祭は11月17日。
小村井手(堰)
下川添の田の水の取水用に造られたが,現在は活用していない(田が他の用途になった)。用水路口に水神様(水神碑)がある。
井戸跡
下川添の共同井戸で,昭和30年代まで使っていた。滑車つるべ井戸。水神様(水神碑)が残っている。上川添の共同井戸は“はねつるべ井戸”だった。
石敢當(せっかんとう)
道路の突き当たりや石垣に立つのが本来の姿。悪魔除けの石塔。沖縄・南九州に多く見られる。長田町の茶碗屋馬場,上本町の虎屋ん馬場等にある。
庚申供養塔(こうしんくようとう)
1778年(安政7年)の刻がある。諏訪神社鳥居下にある文字庚申供養塔。道教の教えを受けた庚申講の塔が,神社領域にあるのがおもしろい。更に,観音石仏も安置してある。
川添諏訪神社
下川添の鎮守神社。昔,川上氏が信州諏訪神社から神を勧請(かんじょう)した川上町花棚の神社を川添のこの地に移した。平成5年鉄筋造りの社殿に改築した。百数十段の石段がすばらしい。
馬頭観音(文字石碑型)
昭和前半までは,荷馬車が大きな荷物を運んでいた。馬の増殖と健康安全を願って建てたと思われる。港や駅に着いた荷物も運んだのだろう。
常安峯の島津家墓地
玉龍中,玉龍高校裏の福昌寺島津家墓地埋葬に続いて,明治時代の廃仏毀釈後に埋葬された墓地。神道様式で,鳥居の奥に土を盛った墓がある。
磨崖梵字
内之丸の常安峯麓の道の石崖に,2つ並べて刻んである。直径1mほどの円(日輪)の中に薬研彫(やげんぼり)の梵字が見られる。清水中学校のプール北にも磨崖梵字が見られる。
福昌寺の島津家墓地
福昌寺が島津家の菩提寺であったため,島津家の墓地が残っている。
初代から五代までは本立寺(清水町),明治時代以後は常安峯島津墓地に祠る。
キリシタン墓地
明治2年(1869年),キリスト教の弾圧によって,長崎の浦上から375名の信者が鹿児島に預けられた。3年間の滞在中50余名が死亡,ここに葬られた。
大乗院橋(稲荷川五橋のひとつ)
上流から大乗院橋,一ッ橋,黒喝橋,戸柱橋,永安橋。
祇園之州
今の祇園之州公園一帯。江戸時代末期の文久3年(1863)の薩英戦争の砲台跡,西南の役の官軍墓地(今は慰霊塔)。ザビエル上陸記念碑,石橋公園,「我は海の子」の歌碑等がある。
JR鹿児島駅
明治34年(1901)に鹿児島駅から隼人まで鉄道が敷かれ,鹿児島本線と呼んだ(今の日豊本線)。昭和2年(1927)に今の鹿児島本線が開通した。「本駅」と呼ばれ親しまれていた。鹿児島本線・日豊本線の起点の
駅。
赤倉(あかぐら)の跡,ウイリアム・ウィルス
ウイリアム・ウィルスはイギリス人で医師。江戸時代末期,鹿児島で近代医学を広めた。赤倉はウィルスが院長を務めた病院の建物。赤煉瓦造りだったので赤倉病院と呼ばれた。
清水城・大乗院跡
島津氏が多賀山の東福寺跡から清水城(清水中学校・裏山)に,更に15代貴久が内城(大龍小学校)に移った。清水城の跡に大乗院を建てた。
東郷平八郎銅像
昭和32年,旧海軍関係者の「かもめ会」が錦江湾に向けて建てた。近くには遺髪を葬った墓がある。多賀山は多賀神社・東福寺城跡・桜花園があり公園になっている。
鶴丸城跡島津氏が多賀山の東福寺城にはいり,次いで清水城に移り,更に15代貴久が大龍小学校の地に内城を開いた。18代家久のとき鶴丸城を築き,1864年に移った。
西郷隆盛終焉之地
城山町。明治10年西南の役(西南戦争)で,熊本の戦に敗れ,9月1日城山に戻ってきた薩摩軍。9月24日,西郷隆盛はこの地で自刃(じじん)した。
最大乗院
高野山真言宗の寺。大龍小学校の地に内城を築いた島津貴久が,清水城の跡地に大乗院を建てた。明治2年廃寺となり,明治12年この場所に再興し最大乗院とした。
琉球館跡
長田中学校の地。江戸時代,琉球国の役人や国王が滞在した館。その頃はこのあたりまで海で港があり,琉球国の船も出入りし貿易が盛んに行われていた。
秋葉神社
恵比須公園にある。防火の神様。昔,このあたり(恵比須町)が大火に見舞われ,遠江国(静岡県)の秋葉神社から勧請(かんじょう・神社の分霊を頂く)して社殿を建てた。
伊地知季安(いじちすえなが・すえやす)誕生地
天明2年(1782)の生まれ。薩摩藩の歴史を中心に多くの本を書いた。「薩摩級記雑録(漢学紀源)」が有名である。興国寺墓地に埋葬
旧電車(市電)通り
市電は大正元年に開通。大正3年に鹿児島駅まで。昭和2年に朝日通りから竪馬場まで,昭和36年に清水町まで延ばされた。しかし,道幅が狭い上,自動車が増えたため,昭和60年10月廃止された。
茶碗屋馬場
江戸時代,長田神社の南向いの地に竪野焼の窯があった。その下の道を茶碗屋馬場と呼んだ。竪野窯は藩の御用窯で,金襴手を含む薩摩錦手も焼いた。
長田町城ヶ谷。春日町で生まれた森有禮が幼少期をすごした地。森有禮は,明治18年初代文部大臣を務めた。横山安武は兄。
長田町城ヶ谷の生まれ。大阪を中心に日本の商業・工業の発展に尽くした。大阪商法会議所初代会頭。鹿児島産業会館の泉公園に銅像がある。
江戸時代に下竜尾町・長田町の高台に建立された。明治初年廃仏稀釈で廃寺。現在,易居町に再建されており,門前に仁王石像が立つ。写真は現在の寺院。