学校の概要
1 位置
北緯31度37分 東経130度32分
2 由来
玉江という名称は,昔,玉里の一角の付近の山裾まで海が入り込み,入り江をなしていた。この平和な玉里の「玉」と入江の「江」をとって,玉江と命名したと言われている。
校章は,128年前に創立された本校の「円満な人格の完成をめざす」という教育目標を「玉」で象徴し,全体を丸くかたどり,温かく児童を見守っているという意味が込められている。
| 学校正門 | 国道3号線(郊外側) | 国道3号線(市内中心部側) | 甲突川 |
3 歴史のあらまし
玉江小学校は,明治11年,下伊敷字脇ノ谷に大平小学校として開校されて以来,校名の改称は7回,その位置も3カ所変わり,その間,草牟田にあった鶴尾小学校を合併しながら発展してきた。
学校がここに移ってくる前は,甲突川対岸のハートピアかごしまの位置にあり,今のこの土地に移転したのは,昭和36年4月である。戦前ここは,鹿児島第45連隊の兵営があり,校門前方の自動車学校や西高校辺りの広い土地が練兵場で,たくさんの兵士たちが日夜厳しい訓練を受けたところである。
学校の本門,校内入口付近の池や古い石垣の塀,大きな銀杏の木などは,当時の面影をそのまま残している。連隊がここに入ったのは,明治30年3月であったが,戦後軍隊の廃止とともに,この兵営の跡に鹿児島大学や附属中学校の校舎が建てられ,,その後,鹿児島大学の移転により,玉江小学校が移ってきた。
以来,県立短大,県立西高校,県立盲学校,鹿大附属養護学校などや伊敷中などの学校が次々に建設され,現在は,幼,小,中,高,大それぞれの学校が多数隣接する文字通りの学園の町になっている。