南泉院馬場(なんしんばあ)
江戸時代,南泉院という天台宗のお寺が今の照国神社の所にありました。そのお寺の前の道路という意味です。
馬場というのは,馬を乗り回せるほど広い場所・道路という意味です。
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千石馬場(せんごくばあ)
千石町に同じ。
天神馬場(てんじんばあ)
山下小学校の南西部に萩原天神社とよばれる菅原道真をまつる神社があったことからつけられた名前です
高見馬場(たかんばあ)
昔,この付近は小高い場所で遠い所まで見わたせたことからつけられた名前です。
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二本松馬場 (にほんまつばあ)
この通りから西の方を見ると武岡に生えている大きな松の木が見えたことからこの名前がついたといわれています。
山之口馬場(やまんくっばあ)
山之口町に同じ。
馬乗馬場(うんまのいばあ)
江戸時代,このあたりに馬を洗うための堀があったといわれ,この付近で乗馬の練習をしていたことからついたといわれています。
御着屋通(おつきやどおい)
昔,この付近は堀になっていて船がここまで出入りしていました。藩の御用船が着く港ということからつけられた名前です。
中之平通(なかんひらどおい)
平之町と同じ。
柿本寺通(かきもとじどおい)
江戸時代,城山の西側にあった柿本寺の前から南方へ通じる道につけられた名前です。
千日通(せんにっどおい)
大阪に今も千日前というにぎやかな通りがありますが,これにあやかるようにとつけられた名前です。
二官橋通(にかんばしどおい) 三官橋通(さんかんばしどおい)
今から約650年ほど前,中国から沈一貫という人が鹿児島に逃れて来て医者として島津家に仕えました。一貫は名医として有名になり,住んでいた近くの清滝川にかかる橋に一貫橋,二貫橋,三貫橋の名前がつけられ,やがて貫が官となり通りの名前になりました。
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日置裏門通(ひおっうらもんどおい)
昔,この道路に面して日置島津家の屋敷があったことからついた名前です。
天文館通(てんもんかんどおい)
中福良通りと呼ばれたこの通りの北側に,江戸時代,藩の気象や天文を観測したり暦をつくったりする役所である明時館(天文館)があったことから,この通りは天文館通りと呼ばれるようになりました
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松山通(まっちゃまどおい)
藩政時代,城下は武家屋敷と町民の住む下町との間に土手が築かれ,松の木が植えてありました。松が大きくなり山のように見えたので,この名前がつきました。
菩薩堂通(ぼさどどおい)
16代島津義久は,甲突川べりにあった網掛地蔵を信仰していました。この地蔵を,地蔵角にあった菩薩堂に移したことからついた名前です。
飴屋小路(あめやんしゅっ)
江戸時代,この付近には造士館,演武館などがあり,学問や武芸を学ぶニ才(にせ)たち目あての飴屋が並んでいたことからつけられました。小路とは,幅のせまい道という意味で一人がやっと通れる程の小道をいいます。
舎の小路(しゃのしゅっ)
この通りに面した所に会文舎という学舎があったことからこの名前がつきました。
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新納殿小路(にいろどんしゅっ)
島津家家臣新納家の拝領地がこの一帯にあったことからつけられた名前です。
東郷殿小路(つごどんしゅっ)
島津家弓術師範だった東郷家の拝領地があったのでこのように呼ばれていました。
諏訪小路(すわんしゅっ)
清滝公園付近にあった諏訪神社からとった名前です。
萩原小路(はっぐわらんしゅっ)
この小路に面して萩原家があったからだとも言われていますが,はっきりしません。
猫の薬師小路(ねこんくそしゅっ)
この通りには,猫,犬の病気を治す獣医が住んでおり,治療をしてもらう人々の猫や犬が道路の両側にふんや尿をしていたからではないかと言われています。明治以降は花尾通と改めました。
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番所小路(ばんどこいのしゅっ)
西田橋東側のたもとに番所があり,番人が通行人を調べていました。この小路は番所の前からは下加治屋の方へ通じていましたので,この名前がつきました。現在は戦後の都市計画でなくなってしまいました。
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