町 名 町 名 の お こ り
東千石町
西千石町
  1601年,鶴丸城が築かれて城下町が整備されました。城に近い場所に禄高千石以上の高い身分の武士を住ませた通りがあり,そこを千石馬場と呼んでいました。1889年(明治22年)鹿児島市が発足した時,この千石馬場通りを東千石馬場町,西千石馬場町と名づけ,更に,1899年(明治32年)に東千石町,西千石町と改めました。
平之町   鹿児島では,山のすそ野のゆるい傾斜地のことを「平(ひら)」と言います。平之町は,城山のすそ野に開けた町という意味です1889年(明治22年)に平之馬場町と名づけられましたが,1899年(明治32年)には,平之町と改められました。
中町  この町名のおこりははっきりしませんが,1889年(明治22年)鹿児島市が誕生した時,このあたりが一番にぎやかな所(中心)だったことから,ついたのではないかといわれています。
山之口町  江戸時代,松原山南林寺のうらに千丘山と呼ばれる小高い丘がありました。その登り口が今の地蔵角派出所の所だったそうです。山への入口ということから山之口町という名前が生まれたようです。ここも初めは山之口馬場町と呼ばれていました。
加治屋町  昔,甲突川は今の平田橋付近から清滝公園を通り,鹿児島中央高校の東側を流れていましたが,1601年,18代島津家久が鶴丸城を築く時に甲突川の流れを変えてから城下町の一部として整備された所です。それまで島津義弘(家久の父)氏の隠居地であった加治木から,鹿児島城下に移住させた家来をそこに住まわせたから,加治屋の地名がついたという説があります。また物乞いをする勧進が住んでいたからとも言われますが,くわしいことはわかりません
千日町  1963年(昭和38年)に南林寺・船津町・山之口町の一部を合わせてつくられ,千日市場からつけられました。
照国町  1965年(昭和40年)に平之町・山下町の一部を合わせてつくった町で,照国神社から名付けられました。

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