木曽川の治水工事と平田靱負 (その1

 木曽川の治水工事と平田靱負
 毎年5月25日に平田公園の平田靱負像の前で「薩摩義士慰霊祭」が行われます。
 この祭りには,地元の鹿児島はもちろん,遠く岐阜県からも薩摩義士に関係のある人,小・中学生や高校生などが参加し,盛大に行われています。わたしたちの山下小からも6年生が参加しています。
 現在,岐阜県と鹿児島県とは姉妹県としてこの慰霊祭への使節団をはじめ,小・中・高の先生方の交流など,いろいろなことで友好を深めています。このきっかけとなったのが平田靱負らが行った木曽川の治水工事なのです。この工事にたずさわった薩摩の人全部のことを,後に「薩摩義士」と呼ぶようになりました。その工事の中心になって活躍したのが平田靱負であり,今でも武士の手本としてこのようにまつられて,人々から尊敬されているのです。
 それでは,平田靱負らが行った木曽川の治水工事とは,どんな工事だったのでしょう。

 それは,1754年(宝暦4年)1月の10日ごろ,江戸薩摩屋敷からの早飛脚が鶴丸城にとびこんできたことから話は始まります。
 鹿児島城下の人々は,正月気分もさめず,のんびりと平和にくらしていました。城の中も,いつもの年と同じように正月を楽しんでいました。そんな中に「薩摩藩に木曽川の治水工事お手伝いを命じる。」という幕府からの思ってもみない知らせがとびこんできたのです。藩主も家老たちもびっくりし,どうしたらよいか困ってしまいしました。お手伝いと言っても実際は,大勢の人とたくさんのお金を使って,自分たちで工事を完成させなさいということだったのです。
 そのころ,幕府は外様大名(関ケ原の戦い以後,徳川幕府に仕えるようになった大名)に対しては,特にきびしく,たびたびこのようなお手伝い工事を命じていました。なぜ,そのようなことをさせたかというと,工事をさせることによって藩のお金をたくさん使わせ,それで藩のカを弱めて幕府に反抗できないようにしたのだと言われています。

 幕府は,薩摩藩が琉球(現在の沖縄県)貿易などを通して大もうけをし,お金がたくさんあると思っていたのでしょう。しかし,薩摩藩は実際にはたいへん貧しく,借金がおよそ66万両もあったと言われています。そのようなときに木曽川治水工事のお手伝い命令がきたのです。藩主の24代島津重年はもちろん,家老たちもなやみ,工事を引き受けるべきか,断るべきか,どうすることが一番よい方法なのか,何回も集まって話し合いが開かれ,議論がたたかわされました。「どうして,薩摩から1,200qもはなれた遠いよその国の工事を自分たちがしなければならないのか。」「幕府は,この工事をさせることによって,薩摩藩のカを弱めようとしているのだ。」「幕府の命令は断るべきだ。」など,いろいろな意見が出され
ました。家老の一人,平田靱負は,「幕府の命令を断れば,幕府との戦いになり,人々の命を失い,田畑は荒らされ,藩はほろぼされる。遠い他国へ行っての治水工事もきびしくつらいことだが,洪水に苦しんでいる人々を助けることも武士としての本分であろう。藩を救うためにも,幕府の命令を受け入れ治水工事を完成させよう。」と自分の考えを述べました。最初は,工事に反対していた武士たちも平田靱負の考えに賛成しました。
こうして,薩摩藩は工事を引き受けることになり,藩主重年はただちに幕府に返事を送るとともに,1月の末には家老の平田靱負を総奉行とする一行を遠い美濃国(現在の岐阜県)をめざして出発させました。工事にかかる武士の数は,薩摩から710人,江戸の薩摩屋敷から約200人,それに医者などを含めて総勢1,000人ほどになりました。
 一行は,2月20日ごろ,美濃国に到着しました。総奉行の平田靱負は大阪で工事費用を借り集めるという大切な役目もあり,大阪の大商人たちに頭を下げ,やっとの思いで約7万両ものお金を集めて美濃国へと向かいました。幕府は,大治水工事を無事に完成させるため,むだな費用を使わないようにきびしい規則をいろいろ定めました。
 
2月27日から春の工事が始まりました。工事は難工事でしたが,幕府方の役人たちは自分の役目をしっかり守るために,手助けをするどころか,かえってきびしく取りしまりをするありさまでした。食事はご飯とおかずを一品にすること,品物は現金売りをし,かけ売りをしないこと,ねだんを安くしてはいけないこと,幕府の役人にさからってはならないことなど,はるばる遠い国まてやってきて工事をしている薩摩藩士たちへの思いやりの心に欠ける面も多く見られました。鹿児島とまったくちがう風土の地で,将軍の家臣であることをほこりとする幕府の役人からいろいろ指図されることや言葉のちがいなどは,とてもつらいことで,2月14日,とうとう二人の藩士が切腹してしまいました。
 そまつな食事とせんべいぶとん,寒いいすきま風になやまされながらも春の工事は,およそ3か月かかって5月22日に終わりました。

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