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村田新八
むらた しんぱち
1836〜1877 |
幕末から明治にかけて活躍した人です。1836年薬師町の高橋家に生まれ,のちに加治屋町の村田家に養子入りしました。小さい頃から,西郷隆盛をお兄さんのように慕っていたそうです。1862年,島津久光の命令に従わなかったということで,西郷隆盛は徳之島へ村田新八は喜界島へ流されました。1864年に許されましたが,その後は戊辰戦争で活躍しました。
1869年(明治2年)鹿児島常備隊の砲兵隊長になり,1871年(明治4年)には,岩倉大使らの一行に加わり外国を見てまわりました。ところが,帰国してみると,西郷らが鹿児島に帰っていたため,村田も西郷の後を追いました。その後,西郷のもとで私学校をつくり,砲兵学校の監督になって若い人たちの教育にあたりました。そして,1877年(明治10年)の西南戦争で二番大隊長として戦いましたが,城山の岩崎谷で40歳の一生を終えました。
誕生記念碑が,鹿児島中央高校体育館横に建てられています。
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