山下校区の先人
 |
東郷 平八郎
とうごう へいはちろう
1847〜1934 |

多賀山公園 |
大山巌が「陸の大山」に対して「海の東郷」と言われたくらい,海軍の方で活躍した人です。
1847年,大山巌と同じように下加治屋町で生まれました。小さい頃から学問や武道を習い,大事に育てられました。
16歳で,薩英戦争に参加しました。その薩英戦争の体験から「海から来る敵は,海にて防ぐべし」という考えをもち,海軍に入りました。1871年(明治4年)24歳の時イギりスに留学し,その頃世界で一番強いと言われていたイギリスの海軍について勉強をしました。
日清戦争では「浪速」の艦長として手がらをたて,日露戦争の時は,連合艦隊司令長官として戦いました。このときの「皇国の興廃この一戦にあり,各員一層奮励努力せよ。」のZ旗をかかげての日本海海戦はとくに有名です。当時の世界の人々は,東郷を「東洋のネルソン(イギりスの有名な提督)」とほめたたえました。
その後,元帥にまでなり,1934年(昭和9年),86歳で亡くなりました。
国葬で東京の多摩墓地に葬られましたが,鹿児島市内の多賀山にも墓地があり,遺髪が葬られています。また,同じ多賀山公園内には,平八郎の銅像が,鹿児島湾(錦江湾)を見おろすかのように立っていまず。
誕生記念碑が,鹿児島中央高校北側に建てられています。
(前のページにもどる)