 |
林 芙美子
はやし ふみこ
1903〜1951 |
明治36年12月山口県で生まれました。母は,桜島の古里出身でした。両親とも行商に出ていくため,さみしい思いをしながら大きくなりました。また,旅から旅への生活でしたので,故郷もありませんでした。
ほんの少しの間,鹿児島の母の里へあずけられ,山下小学校へ通いました。学校帰りに城山に登り,桜島を見たり加治屋町のあたりで遊んだりしました。幼い頃のつらい悲しい思いを通し,人間愛,動物愛について考えるようになりました。
大正12年尾道女学校を卒業し,東京に出て苦しい生活をしていたころの「放浪記」お発表し,ベストセラー作家になりました。

向田邦子より早く生を受けること23年。明治36年生まれの林芙美子は、今「かごしま近代文学館」で邦子の隣の展示ブースに紹介されている。
この二人に,意外な運命の糸がつながっていた。それぞれ東京生まれ、門司生まれと出身が違いながら、二人とも鹿児島に一時期暮らしたこと。そして奇遇ながら、通った小学校が同じ山下小学校だったのだ。しかし芙美子の場合、幸福な時期を当地で過ごした邦子とあまりにも違っていた。
芙美子の母キクは鹿児島市の対岸、桜島の古里温泉に生家があり、行商人だった父と出会って芙美子を身篭もる。しかしその後故郷を追われるように父母は桜島を離れ、芙美子が生まれたのは北九州の門司だった。出生後も放浪の暮らしは続き、学校も転校に転校を
繰り返している。そして2年生のとき、鹿児島の祖父の家に預けられて2年あまりを過ごすのである。
母と離れ、祖母からも温かくは遇してもらえない日々。鹿児島での生活は、決して心弾むものではなかった。それでも、学校帰りに城山に登り、目の前に迫るように端座する桜島を飽くことなく眺めながら空想にふけるのが,何より楽しみだったらしい。
あちこちを流れ歩く少女時代を経て、19歳のとき上京した芙美子は、職を探してみすぼらしい姿で上野公園にたどりつき、西郷隆盛の銅像の前で思わず語りかけるのだ。
西郷さんの銅像も浪人戦争の遺物だ。貴方と私は同じ郷里なのですよ。鹿児島が恋しいとはお思いになりませんか。霧島山が、桜島が、城山が、熱いお茶にカルカンの甘味しい頃ですね。貴方も私も寒そうだ。貴方も私も貧乏だ。 『新版放浪記』(新潮社)より
きっと、人の世の移り変りや喜怒哀楽をはるかに超え、悠然と動ぜずに煙を吐き続けるあの山が、芙美子の心にも確かなよりどころとしてあったのではないか。それはおそらく、向田邦子にも通じるものだったろう。だからこそ、二人の心に鹿児島が生き続けたのだ。
故郷とはいったい何だろう。私の故郷は、どこだろう。冬の長い夜、久しぶりに二人の本を読み返してみようか。
(鹿児島文学散歩 JR九州 PLEASE 2000.2より)
