わくわくタイム

・ 3年生から6年生まで行う。年間10時間から30時間ほど
・ 郷土の歴史・文化について,吉野史談会の方々から話を聞いて,年表としてまとめる。
・ 校区内にたくさんある福祉施設等を訪問したり,入所されている方や職員の方々との交流をしたりして,優しい心を持った子供を育てる。
・ 主な行事に福祉施設訪問がある。
・ 校区内にある福祉施設(睦園,きずな園,菖蒲学園等)での交流活動,車椅子体験等を通して,高齢者や障害者への理解を深めている。福祉施設が多い地域性を生かし,子どもたちに共に生きていこうとする力を育てることを大事にしている。

吹奏楽部

・ 平成23年度に金管バンドから吹奏楽部へと編制替えし,「吉野東小吹奏楽部」として新たなスタートを切った。地域やイベント等での様々な演奏活動を続け,平成25年には「第19回日本管楽合奏コンテスト全国大会」に出場,全国第一位となる「最優秀グランプリ賞・文部科学大臣賞」を受賞した。(九州初)「感動する音楽」を目指して日々練習に励んでいる。

地域と一体となった青少年育成活動

・ 校区公民館運営審議会主催による「青少年健全育成大会」もここ数年開かれている。学校、家庭、地域社会における子どもたちの健全育成活動の紹介やあいさつ・声かけ運動推進の大会宣言など、校区ぐるみの積極的な育成活動がなされている。
・ 小学生・中学生共に、特に問題行動も見られず落ち着いた様子である。保護者や地域民による毎朝の校門での声かけも功を奏している。

歴史的環境

 吉野は,歴史的には,戦国時代(弘治元年・1555年)の本に「良野」という呼び名で初めてみられる地名である。  江戸時代は,「鹿児島城下の吉野村」と呼ばれていた。この吉野村一帯は島津家の土地であり,牧場として500頭もの馬が放牧されていたとのことである。牧場は牟礼ヶ岡を中心に吉野や重富まで広がり,ペルシャ馬や百済馬を導入し,名馬を数多く生産したことで知られている。  江戸時代の若者たちは,「チェスト,関ヶ原」の気概を持ち続けるため,質素と勇敢さを誇りにし遠行を好み,牧神様参り(吉野の馬追い)も,その遠行の一つとして行われたようである。大石兵六夢物語に出てくる心岳寺(寺山)と牧神様は,この吉野東と関係が深いところである。  菖蒲谷は,江戸時代,実方から白銀坂を通り細島(宮崎)へ出ていく東目回りの交通の要所だったといわれる。現在も鳥越トンネル上から九州縦貫道(吉田入口)までつなぐ県道本名・鹿児島線は,生活幹線で交通量の多いところである。  教育の面では,嘉永年間末期(1853年),斉彬公によって「聖堂分校」が創立され,のちの帯迫の分校と合併され第12郷校(明治4年)となった。近辺の師弟はここに通い,勉学に励んだということである。その中から,桐野利秋・別府晋介・川上操六等が生まれ育ち,日本の黎明記に活躍した。  また,私学校と並び称せられる「開墾社」の壁面に南州翁の揮毫された,陳龍川の語「推倒一世之智勇開拓萬古之心胸」は,実に有名である。このような南州翁とかかわりのある遺跡も多く残されている。

吉野東小学校開校・学校名由来

 高度経済成長に伴い人口の都市集中化が進み,かつての閑静で田園風景にあふれた吉野台地も,宅地造成が進み,住宅団地が急増した。そのために,吉野小学校は年をおうごとに児童数は増え,昭和50年代初めには,2,000人を超し,適正な学校経営も難しくなり,本校開設の運びとなった。「吉野東小学校」の校名は,広大な吉野台地の東側に位置することから呼称されたものである。