大正4年(1915年)英国人N・G・マンローにより鹿児島で初めての考古学の調査が行われた遺跡である。県立吉野公園から寺山公園にむかって車を走らせること数分で目にとまる。
遺跡は縄文時代中期を主とする遺跡で、広さ4反歩位(昔の面積の単位)でマンローは当時3000円の資産を投じて、地下6尺位(昔の長さの単位)全面積を掘り返し、縄文土器貨車1台分を英国に持ち帰ったという。
傾斜地を約25メートル下ると、迷路と洞窟の跡がある。
土手の上に立っている。上ってみると、草が生えていた。
下からは少し見えにくい。90年以上も前に調査をするとは学問がすすんでいたのだ。