御薬園跡


 校門の入り口に昭和7年4月20日にたてられた石碑がある。これは、昭和61年12月それまで運動場の東側の中央端の土手にあったものを移設されたものである。
 第25代藩主島津重豪(しげひで)は鎖国の世にオランダ語を学び、外国文化を取り入れた名君と言われている。医学館設立してオランダ医学を学ばせる一方、漢方薬草の研究もすすめ、吉野、山川、佐多に薬草園を作り、栽培普及したと言う。
 石碑に書かれた文によると、上下2段の畑で作られた薬草は130種にもなる。
 そのとき育てられていたものに「あきにれ」がある。校庭の中ほどに鹿児島市の保存種に指定され、根をいためないようにと赤い鉄で守られている。

 平成6年 校庭の一部に薬草園をつくり、3年生の社会で地域めぐりをし、昔の吉野を勉強するとき、あらためて歴史の古い地に学校はあるのだなと感じているようである。
 ドクダミが多く、ゲンノショウコもある。ほかに校内にある「柿の木」や「イチョウ」、「ヒガンバナ」も薬草であったと石碑は教えている。