学校紹介

 昭和31年6月,鹿児島市議会において「鹿児島市立南小学校」が設置決議されました。当時,今の学校付近は,とても広い競馬場があり,年に何回も競馬大会が開かれ,多くの人でにぎわっていたそうです。
  山の手のほうは,国鉄指宿線と市電が走り,道路も整備され,人家がどんどん増えていきました。海岸の方では,工場を建てようとして工事が盛んになり,どんどん人が住みつくようになっていました。そういう理由から,新しい学校が必要になったそうです。
  昭和31年11月,校舎建築が始まりました。現在,南校舎・中校舎・北校舎の計3棟の校舎があります。開校当時は,校舎建築が間にあわず,鴨池小学校を借りて学習していたそうです。   

 昭和35年に,全校児童の本校移動が完了しました。 
 南小の児童数は,昭和35年の1,706名を ピークに年々減少傾向にあります。

 昭和48年には1,000名を切り,平成10年には500名を切りました。平成15年は448名となり,これはピーク時の4分の1の数字です。令和2年度は440名でスタートしました。

        <参考資料 創立20周年記念誌 みなみ 創立30周年記念誌 みなみ>

校歌

 昭和37年2月15日,南小開校5周年記念式典で発表されました。
 作詞は当時の南小の教頭先生だった沖野松秀先生,作曲も南小の緒方千恵子先生です。
 桜島の噴火のように元気な子,いろんな勉強をしながら本当のことを知って, 物分かりのよい子,緑色のワカメのようにみんなそろって仲良く伸びていく子に育ってほしいというの願いが込められています。
 以来57年間,南小の子供たちに愛され続けています。

校章

 昭和41年10月16日に行われた創立10周年記念式典で発表されました。校歌にもあるように「みんな仲良く手を取り合って,力強く,大きく伸びていきましょう」という願いが込められています。
「南」の上部を矢印にしたのは,〈錦江湾に近く南方発展の新地として開校し,文化の波に雄々しく成長し発展しよう〉という意味です。

           「小」を丸くしたのは,〈円満な人格形成をめざす〉ためです。
            なみがしらを六つ形どったのは,〈むつまじく調和のある学校のす  

           がたを象徴〉したものです。

学級編制

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