学校紹介
本校は,開校152年を迎える伝統と歴史のある学校です。「三方限の教え」を推進し,様々な場面において,縦割り班活動を実施しています。上級生は,下級生の模範となるよう優しく教え,下級生は,そのような上級生を目指しています。
校歌

中洲小学校校歌
作詞 西森 しげみ
作曲 三界 美義
一 朝日に匂う桜島
窓辺に清く見るところ
ああ若草の意気たかく
みどりの風に胸張って
希望あかるく伸びてゆく
われらの中洲小学校
二 薫る歴史かがやかに
黒潮はるか湧くところ
ああ友愛の根も深く
したたる汗に肩くんで
理想の花を咲かせゆく
われらの中洲小学校
三 さやかに晴れて武岡は
平和の虹の立つところ
ああこの命たくましく
いばらの道も乗り越えて
明日の日本をにないゆく
われらの中洲小学校
校章

中学校のような校章に見られますが,中心の「中」は「中洲」の意味であり,「中学校」を表してはいません。周りは太陽をたたえた勲章のように見えます。
学校基本情報
中洲校区は,中央町,上之園町,上荒田町の3町で構成されています。近年はマンション建設により,世帯数が増加しています。鹿児島中央駅や市立病院,学校等あらゆる公共施設が建ち並び,教育的・文化的環境には恵まれています。
また,明治維新で大業を成し遂げた西郷隆盛をはじめ,多くの偉人や傑士が生まれ育った歴史ある地域でもあります。その偉人の教訓に「三方限の教え」があり,「負けるな,うそを言うな,弱い者をいじめるな」という内容でした。今でもその教訓を引き継ぎ,学校生活で守っるようにしています。
<三方限>
「さんぽうぎり」と読みます。現在の市役所西館付近には、江戸時代は大きな広場があり、北側のまちを上方限(かみほうぎり)、南側を下方限(しもほうぎり)と呼んでいました。今でもよく耳にする、上町(かんまち)の呼び名は、この当時の名残です。「いくさ」の心配が少なくなり、住む人が増えてくると、城下の「外」にまちが広がっていきます。新しくできた、荒田、高麗、上之園のまちを総称して「三方限」と呼ぶようになりました。現在の鹿児島中央駅周辺は水田が広がっており、田が多いということで田毛(たけ)と呼ばれていました。
学校の由来
もともと学校は高麗町にあり,そこでは,甲突川の中洲ができるような土地の一角あることから付いたとされています。そこから現在の上之園町に移ってからもその名を引き継いでいます。