校長室の窓 

6月 温故知新

                            瀬々串小学校長  林 裕一郎


 先日行われたPTA 歓迎会では,PTA 会員や地域の方々と懇親を深めることができました。

その際,多くの方々から「瀬々串のよさ」を教えていただきました。表題の『温故知新』(故(ふる)きを温(たず)ねて,新しきを知る)という故事は,「昔のことをよく研究して,そこから新しい知識や道理を発見すること」という意味です。今回の懇親会では,「瀬々串の歴史や先人の知恵を学ぶことで,そこから新しい価値や知識を生み出し,現代社会の困難な状況を乗り越えるヒントを見つけることができるのではないか」と考えるきっかけになりました。

 そこで,学校に保管されている50年前に作られた『創立百周年記念誌 瀬々串』(昭和52(1977)年発行)を読んでみました。中には,明治生まれの方々の話や戦時中の学校の様子が語られており,この地に暮らす子どもたちや保護者,地域の方々へも今後紹介していきたいと思います。
 さて,今回は,『瀬 々 串』の地名の意味を考えてみました。
「瀬」:歩いて渡れる程度に浅いところ
「々」:同じ字を重ねるときにつかうしるし。『踊り字』などという。

(小学校「国語」3年光村図書)
「串」:細長い棒状のもの,物を貫き通すのに用いるもの。
「串」は,「櫛」(くし)と同語源
 そこで,瀬々串の海岸線は,「櫛の歯」のように途切れなく細い瀬と岩場がギザギザに連なっていて,そこが埋め立てられたのではないかと予想を立て,昔と今の地図で海岸線を比較してみました。

 結果,今の海岸線は,125 年前とほぼ同じだったことが分かります。私の予想は外れました。しかし,集落の中の道は,現在でもほぼ昔の道が使われていることが分かりました。
このように,瀬々串で調べたいことをもっともっと探していきます。ぜひ地域の方々からも情報をいただきながら,未来の子どもたちに語り継いでいきたいと思います。

 

5月 瀬々串の不易流行

 

瀬々串小学校長 林 裕一郎

 

 先日,地域ボランティア 浜田徳則さんのご案内により6年生が史跡巡りを行いました。私も瀬々串の歴史・文化について知りたく,一緒に同行させていただきました。今回は,上・中地域を実際に見聞し,この地で数千年も続いている人々の営みを感じることができました。今後,さらに調査してみたいという気持ちになりました。

さて,今回,本校児童数の推移を調べてみました。過去をさかのぼると,昭和36年が最大の448人だったようです。下グラフから,児童数は平成20年頃から大きな増減がなく,横ばいであることが分かります。昔から代々,ここ瀬々串に住んでいる方や様々な理由で移住されてきた方などがともに暮らしていることが児童数の一定確保につながっているものだと予想されます。県内のほとんどの地域・学校は,少子化により児童数が激減しています。瀬々串小は,その波に飲み込まれず,この児童数を保てる原因は何なのか?

「経営の神様」と称された稲盛和夫氏は,「よそ者・若者・バカ者」という言葉をよく活用していました。経営学で使われていたこの言葉は,最近は,過疎化の進んだ地域再生にも転用され,地域再生には,「よそ者のアイデア,若者のエネルギー,バカ者の一途さが必要。そして,どんな改革にも必要不可欠なものは,理解し,協力し,支援する人や体制である。」と提唱されています。

「不易流行」という言葉があります。今回,瀬々串の歴史や文化等,昔から変わらぬ魅力がたくさんあることを知りました。不易(変わらぬもの)の中に流行(移り変わるもの)を取り入れていくことが,これからの学校や地域の活性と感じております。

 

4月 瀬々串っ子の朝

 

瀬々串小学校長 林 裕一郎 

 

 春の穏やかな暖かさを感じるこの4月,毎朝,瀬々串っ子94人は,元気よく登校してきます。朝の登校指導をしていると,明るく元気な声で「校長先生,おはようございます。」「いつも交通指導,ありがとうございます。」「行ってきます。」と応えてくれます。学校正門横にある大クスのてっぺんには,カラスが巣作りを始め,毎朝ほほえましく子どもたちと眺め,会話が弾みます。登校した子どもたちは,花に水をかけたり,校庭に転がっているノウサギの糞をほうきで掃き集めたり,校庭を走ったりと,自主的に活動しており,とても驚きました。こんな日常から始まった瀬々串小学校での勤めは,本当に感謝の思いでいっぱいです。

 わたしは,このたび,南九州市立九玉小学校(頴娃町)から転入してまいりました。趣味は,「山」「旅」「アマチュア無線」「絵画鑑賞」等など。山は,これまで鹿児島,九州,そして日本中で350座ほど登ってきました。もちろん校歌に歌われている烏帽子岳にも数回登っています。瀬々串の海から眺める大隅,高隈の山々は美しく,すべての頂上での思い出がよみがえり,山好きにはたまらないロケーションです。また,校長職の前は,市立美術館で学芸員として鹿児島の美術品や歴史的文化財等の調査をしてきました。ここ瀬々串や喜入の伝承,史跡を巡ることを楽しみにしています。

 さて,先日,朝の交通安全指導をしていただいているスクールガードの川原登さんから,登校途中の上原颯真さんが,道端でカードケースを拾って持ってきたと連絡を受けました。川原さんはこのカードケースを喜入交番に届けてくださり,翌日,落とし主が,交番で大切なカードを確かに受け取ったとの連絡がありました。颯真さんから続いたバトンが,しっかり持ち主に届いた瞬間です。物を落としてしまっても,しっかり持ち主に戻ってくる地域がここ瀬々串です。おおいに自慢したい出来事でした。

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