校歌,校章,校区の紹介

 

 

校歌

校章

 校地のすぐ北側にこんこんと清水の湧き出る「仁王堂」と呼ばれる泉があった。この泉から出る「清水」をとって校名とした。   校章は,清く,絶えることを知らない底力をねらいとして,大正2年2月11日に制定。「清らかで混ざりけのない」という意味から「雪」を硬化して土台にし,その中に「清」と「水」の字を入れて校名を表した。

校区の概況

(1)歴史的環境

 旧鹿児島市の北部,上町地区に位置し,中世の島津氏の築城になる東福寺城や清水城,そして,近世の内城の城下町として古くから発達した地域である。

 後になって仙巌園が造られ,上町一帯は,薩摩藩の政治,経済,文化の中心的な役割を果たしていたものと思われる。

 本校区には,仙巌園(磯別邸),西郷隆盛蘇生の家,琉球人松,福昌寺跡,本立寺跡,鹿児島五社,春日遺跡など,文化的・歴史的遺跡が数多く残されている。特に磯地区にある反射炉跡,旧集成館機械工場(現尚古集成館),旧鹿児島紡績所技師館(異人館)は,世界文化遺産に登録されており,有名である。また,明治時代に活躍した森有礼,伊東祐亨,藤島武二の生誕の地もある。

 

 

(2)地理的環境

 東に多賀山,西に玉竜山,北に葛山と,三方を由緒ある小山に囲まれ,かつては「鹿児島の床の間」と言われていた。

現在は,国道10号線が通っており,トラック,バス,自家用車等の騒音が激しく,朝夕,交通渋滞が発生している。以前は校区も狭かったが,新しい住宅団地の出現や,昭和45年の龍水小との統合,また,昭和51年には新祇園之洲の埋立工事が完成し,現在では校区も一段と広くなっており,バス通学児も多い。

 平成5年8月6日の稲荷川の氾濫で校舎1階が浸水し大改装がなされた。平成6年,祗園之洲を通るバイパスが一部開通し,朝夕の交通渋滞が多少緩和された。

 

 

(3)社会的環境

 清水小校区は,柳町,浜町,春日町,清水町,池之上町,稲荷町,皷川町,坂元町(一部),東坂元町(一部)吉野町(一部)からなり,保護者の教育に対する関心は高く,PTA活動の出席状況も良好であり,学校への協力も極めて積極的である。平成24年に,保護者をはじめ校区住民,同窓会会員等の方々の様々な協力をいただき,創立100周年記念式典を盛大に行った。

 各町内会活動や,校区まちづくり協議会活動,あいご会やスポーツ少年団活動,水泳同好会,家庭教育学級,女性学級など,校区住民の地域活動も活発である。

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