学校紹介

草牟田校区の概要

 草牟田小校区は,東は昭和46年度に完成の城山団地を経て,冷水町,長田町に続き,西は甲突川を境に永吉町,原良町に,南は新照院町新上橋を境に山下小校区に隣接しています。北は伊敷中正門より国道3号線を踏み切り,甲突川に達する道路を以て境とし,甲突川,国道3号線に沿う約2kmにわたる以東の市街地及び山手住宅を含み,これに加えて玉里町山手までの校区になっています。

 

 昭和の初期までは,その7割位はいわゆる田んぼで,しかも米があまりできないむたの田んぼが多かった。草牟田の名前も,またこのような周囲の状況から出来たのではないかと思われます。

 

 以前は,草牟田,新照院,玉里,永吉町の4か町が草牟田の校区であったが,原良小学校が建設されてからは,永吉町が原良小校区に編入されました。次いで城山団地が開発されて,城山北部,城山南部の2町が加わり,現在は,草牟田,新照院,玉里,城山北部,城山南部の5か町と冷水町の一部および長田町のごく一部が草牟田小校区となっています。

 

校区の生いたち

 本校が創立するまでは,現在の草牟田,新照院,玉里町の児童は,山下小,西田小,玉江小,大龍小のそれぞれの学校へ城山を超え,甲突川を渡り,通学していました。その通学距離も相当なものでした。それで,保護者や地域住民は草牟田の中心に校地を用意し,草牟田小学校が建設されることを強く望みました。


 そこで,大正13年4月,待望の草牟田小学校(現在の城西公民館の地)が創立されました。同年5月18日,校舎が落成し,校歌を制定して開校式が挙行されました。その日を記念して,5月18日を本校の創立記念日としています。なお,同年6月18には校旗を制定し奉戴式を行っています。

 

 昭和20年6月17日,太平洋戦争で全校舎を消失しましたが,昭和21年6月21日に仮校舎を建造,以後新館建設,増・改築を重ねてきたのでした。
 昭和47年7月15日,城山団地造成にともなって学校は移転し,現在地に鉄筋建4回校舎2棟が竣工されました。
 平成17年度には校舎の大規模改修があり,平成19年2月には新しい体育館が完成しています。

 

校歌

草牟田小学校 校歌

         蓑手 重則 作詞

         林  幸光 作曲

 1  みどりの風は 朝を呼び

    あかるい窓に かねがなる

    なかよしこよし きょうもまた

    楽しく学ぶ 草牟田校

 

 2  流れもつきぬ 甲突の

    ゆたかな岸に 生いたちて

    なかよしこよし 元気よく

    足なみそろう 草牟田校

 

 3  歴史はとわに 夏陰の

    かがやくくすの 香に匂う

    なかよしこよし まゆあげて

    正しく強い 草牟田校

 

 4  錦江湾の 空高く

    きしょうはつると はばたいて

    なかよしこよし はつらつと

    希望はおどる 草牟田校

校章

 

 校章は草牟田小の草の字を中心に鶴と月桂樹を配し,無駄なく円満にまとめられている。鶴は鶴丸城の鶴をとったものであるが,現在の城山団地一帯は昔から鶴尾と呼ばれ,その名にもあやかったものである。鶴は優雅な鳥であり,食を摂し,衛生に注意し長寿を保ち瑞祥を意味する。本校に学ぶ子どもたちが健康で優美,強健で長命,永く国家社会のために貢献し,すすんで世界平和のために寄与することを願って用いたものである。月桂樹は,キリスト教神話に基づく名誉,平和,優勝の象徴として我が校の児童がこのような理想を達成できるよう希う心を表したものである。また,桂庵禅師の桂をとり,わが校の児童が桂庵禅師のような学識豊かな立派な人間になるように希って用いたものである。                 (創立10周年記念誌参照)

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