学校紹介

本校は創立145年を迎えました。

校歌

 1.窓にほおえむ 桜島
   大きく生きよと よびかける
   のぞみも高く 青空に
   静かに燃える そのいのち
   山下校の 心です

 2.楠のみどりの 城山は
   強く生きよと よびかける
   こだまときそう 歌声に
   明るく伸びる そのからだ
   山下校の 力です

 3.き章にかがやく まい鶴は
   正しく生きよと よびかける
   甲突川の 川岸に
   うけつぎほこる そのあゆみ
   山下校の 光です

 

学校基本情報

 【学校所在地】 〒892-0847 鹿児島市西千石町15-5
 【電話番号】 099(226)6285
 【FAX番号】 099(226)6284
 【創立年】 明治11年開校 (創立145年)
 【学校長】 下假屋 誠
 【教 頭】 帖佐 康博
 【職員数】 42人 (令和5年4月6日現在)
 【学級数】 20(特別支援学級5),通級指導教室2
 【児童数】 435人 (令和5年4月6日現在)

山下小学校の概観

【校区概要】 

 本校は,鹿児島市のほぼ中央区にあり,照国町,平之町,東千石町,中町,西千石町,加治屋町,山之口町,千日町にわたり,南九州随一の繁華街となっている。しかし,一面には城山山麓に位置し,西郷南州先生をはじめ,明治維新後に国事に奔走活躍した幾多の偉人傑士を輩出した土地として広く知られている。

 

【学校沿革概要】

 本校は明治六年八月第三郷校として設立されたが,明治十年の西南の役で城山落城と共に灰燼に帰した。

 その後,校区民の熱烈な教育愛により明治十一年十月九日に建設され,「山下小学」と名付けられた後,学制改革により「山下小学校」と改称され明治二十二年には,森有礼文部大臣の視察を受け,翌二十三年には北白川能久親王殿下の御来校を賜る等多くの栄誉をおさめている。

 昭和二十年六月太平洋戦争における空襲により再び全焼し,休校のやむなきに至ったが,昭和二十二年四月には山下小学校として再び開校された。そして,昭和二十四年六月には天皇陛下の行幸を仰ぎ,児童の作品,授業の実際等,展覧を賜っている。

 昭和五十九年から県総合教育センターの研究指定を受け,現在まで毎年,公開研究会を行い,県内外に研究の取組と実践について発表を行っている。

学校の特色

 ○ 鹿児島県総合教育センターとの研究提携校
 ○ 日本教育工学協会 2019年度学校情報化認定

   「教科指導におけるICT活用」先進校   

   

   
 ○ 「山下小 向田邦子賞」の推進
 ○ 学校の伝統行事・活動の推進
  ・ 城山登山競走大会
  ・ うずまき運動(駆け足運動)
  ・ 日曜城山登山
  ・ 妙円寺遠行
  ・ 薩摩義士記念相撲・綱引き大会
 ○ 花と緑が薫る環境づくり

山下小で学んだ作家

【向田 邦子(むこうだ くにこ) 1929~1981】 

 昭和4年東京生まれ。転勤の多い父について各地を転々としながら育った向田さんは,鹿児島のことを「故郷もどき」と呼んでいました。小学校3年から6年初期まで山下小学校で過ごしました。結核を患うなど病弱だった彼女は暖かな鹿児島でめきめき回復。小学校4年の時,鹿児島市の小学生代表として弔辞を述べたこともあります。

 昭和33年放送作家としてデビュー。その後,「思い出ランプ」「あ・うん」など温かく優しい人々の交流を主とした小説を発表。特に,「父の詫び状」では父の愛や鹿児島での楽しく温かい思い出が綴られています。

 

【林 芙美子(はやし ふみこ) 1903~1951】

 明治36年12月山口県で生まれました。母は,桜島の古里出身でした。両親とも行商に出ていくため,さみしい思いをしながら大きくなりました。また,旅から旅への生活でしたので,故郷もありませんでした。

 ほんの少しの間,鹿児島の母の里へあずけられ,山下小学校へ通いました。学校帰りに城山に登り,桜島を見たり加治屋町のあたりで遊んだりしました。幼い頃のつらい悲しい思いを通し,人間愛,動物愛について考えるようになりました。

 大正12年尾道女学校を卒業し,東京に出て苦しい生活をしていたころの「放浪記」を発表し,ベストセラー作家になりました。

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