心の扉を開く一冊、紹介します!
「私はネコが嫌いだ。」(さく・え よこただいすけ)
15年前、娘が拾ってきた子ネコ。いたずらばかりする子ネコとお父さんの物語。
「私はネコが嫌いだ。」と繰り返し言うお父さん。でも、「嫌いだ」は「好きだ」にしか聞こえない。そんなほのぼのとした関係にも終わりが来る。最後の最後に力をふりしぼってお父さんのところに歩いてくるネコ。最後のページの「私はネコが嫌いだ。」というセリフに泣かされてしまう。
動物が好きな人もそうでない人も、命について、人と動物のかかわりについて考えさせられる絵本。あっという間に読み終わるけれど、心は温まる。そんな一冊です。
「橋の上で」 (文:湯本香樹実 絵:酒井駒子)
主人公「ぼく」が橋の上で川を見ていた夕方の場面ではじまります。夕方だから、学校帰りなのでしょうか。雪柄のセーターを着たおじさんがいつのまにか、ぼくのとなりに立っていました。実は、「ぼく」は考えていたのです。いまここから川にとびこんだら、どうなるだろうって。
川にとびこんだらどうなるかって考える「ぼく」。「ぼく」に、いったいどんなことがあったのでしょうか。優しくも物悲しい感じが漂うモノクロの絵が読み手の想像をかきたてます。
「耳をぎゅうっとふさいでごらん。遠くからやってくる水の音が、きこえるよ。」と、おじさんは言います。
おじさんの言う「水の音」とは、何でしょうか。「ぼく」の心の声?言いたくても言えなかったこと?それとも「ぼく」の命の音?
生きているといろいろなことがあります。苦しいこともあれば、つらいこともあります。何もかも投げ出してしまいたくなることも。誰だってそうでしょう。
そんなときに、あなたも、耳をぎゅうっとふさいで遠くからやってくる水の音をきいてみませんか。
「もうじきたべられるぼく」 (作:はせがわゆうじ)
「ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ」という一文で始まる絵本です。
ほのぼのとした絵と運命を達観したかのような「ぼく」の心の声は、重たいテーマであるがゆえに、一層いろいろなことを考えさせられてしまいます。
最後にひと目だけ おかあさんに会いに行く「ぼく」。電車を追いかけて走ってきたのは、「ぼく」のおかあさんだったのでしょうか・・・。絵だけで描いてある場面なので、より親子の愛情と悲しみを感じてしまいました。
「せめて ぼくをたべた人が 自分のいのちを 大切にしてくれたら いいな」という文と「ぼく」の後ろ姿の絵で終わるページは、いろいろな感情があふれてきて、なかなか閉じることができませんでした。
ぜひ、中学生に読んでほしい絵本です。
「100年たったら」(文:石井睦美 絵:あべ弘士)
「このそうげんには、どうぶつは もう、おれひとりさ」草原にひとりぼっちで生きているライオン。
ある日、一羽の小鳥が草原に降り立ちます。鳥は、ライオンに、それはいい声で歌を歌い、ライオンは、鳥にたてがみの中をねぐらにしてやります。幸せな一日一日が過ぎていきます。
しかし、そんな二人にお別れの時がやってきます。悲しみに泣くライオンに「100年経ったらまた会えるよ」と苦し紛れに答えてしまう小鳥。そして、草原にはやがてライオンもいなくなりました・・・。
私たちは、誰かと一緒にいられる喜びや幸せを感じることもあれば、その誰かを失う悲しみに直面することもあるでしょう。そんなとき、その悲しみをどう乗り越えていこうかと悩むとき、この絵本はじんわりと心を温めてくれると思います。
「二番目の悪者」 (作:林 木林 絵:庄野ナホコ)
「これが全て作り話だと言い切れるだろうか?」という文で始まるこの絵本を読み終わって、「いや、これは作り話なんかじゃない。今、まさに私たちのまわりで実際に起こっている話だ。」と思いました。
金のライオンが流した嘘の話がやがて町中に広まっていったのは誰のせい?
「嘘」が「本当のこと」として知れ渡っていったのは誰のせい?
2番目の悪者は誰なのか?
私も2番目の悪者になる可能性は常にある。あなたもそう・・・。このことに多くの人が気付いていないということ、そして、この2番目の悪者たちこそが一番怖い存在だと考えさせられました。
自分の目や耳で確かめることもなく嘘に踊らされている自分はいないだろうか。何も言わなくても誤解はいつかとけると思い込んで真実をきちんと伝えようとしない自分はいないだろうか。「誰かにとって都合のよい嘘が世界を変えてしまうことさえある。」という言葉が心にぐさりと突き刺さる一冊です。