学校紹介

吉田小学校の起源

 文久年間(1862~3)当郷の儒者,川内彦左衛門は,後進者誘導の目的を持って,東佐多浦高岡2614番地の自宅において,師弟10数名を集めて漢字を授けた。

 更に,元治元年(1864年)鹿児島の士,伊集院周八は,吉田・郡山二郷の地頭となったとき,当郷の組頭川田彦兵衛,牛込信兵衛,深見仁左衛門等と図って,共有金をもって建坪12坪の民家を買い受け,これを西佐多浦興化寺56番地に移転して,復生館と名付け,学舎にした。

 川内彦左衛門を召還して師に任じ,次に,鹿児島の士,加藤権兵衛,隈元伊之助の両氏を招き,漢・書・算・剣道の4教科を置き,子弟50余名を教養した。これが本校の起源である。

校歌

作詞:蓑手 重則  作曲:西 勇恕

 

1番
 山なみ清く 朝明けて さやかに光 さすところ
 学びの窓に きょうもまた 明るい自主の 鐘が鳴る
 われらの小学 吉田校
2番
 歴史をほこる 学び舎の みどりの木かげ 片組んで
 足なみそろう よろこびに 楽しい愛の 歌がわく
 われらの小学 吉田校
3番
 思いのほとり 朝夕に 高牧山を 仰ぎつつ
 希望はとわに 火ともえて おおしきあすの 夢をよぶ
 われらの小学 吉田校

校章

制定

  • 昭和6年11月7日

校章の意義

 全体の菱形は希望と誇り,強い意志を表す。

 稲穂は校区の水田地帯を示し,「実るほど頭の垂れる 稲穂かな」のような心豊かで自己の成長と社会の発展に寄与する姿を現している。

 六本の旭日は昭和6年の制定であること,力強く伸びる姿,自然の恵みに感謝する心を表している。

 

 

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