学校紹介

本校は雄大な桜島を一望できる高台にあり,鹿児島市第六中学校として創立された伝統ある中学校です。

また,校区内に西郷隆盛の屋敷跡があります。このことから薩摩藩(鹿児島県)の西郷南州翁(西郷隆盛)と庄内藩(山形県)の菅臥牛翁(菅実秀)の「徳の交わり」を後世に伝え,人々の交流を図るために,昭和50年に山形県鶴岡市立鶴岡第二中学校と兄弟校盟約を結びました。それ以降,本校と鶴岡第二中学校の間では2年に一度使節団交流を行っています。

 

兄弟校 山形県鶴岡市立鶴岡第二中学校

鶴岡市は山形県の北西部に位置し,日本海沿岸にあります。庄内藩の城下町として栄えました。

本校は昭和50年に山形県鶴岡市立鶴岡第二中学校と兄弟校盟約を結びました。それ以降,本校と鶴岡第二中学校の間では2年に一度使節団交流を行っています。

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校歌

本校の校歌は,作詞を河西新太郎氏,作曲を武田恵喜秀氏が行いました。河西氏は香川県出身の作詞家で,代表曲に「オリーブの歌」があります。武田氏は鹿児島県内の学校の校歌を多く作曲されています。

 

校章

本校は昭和22年に鹿児島市立第六中学校として開校し,昭和24年に鹿児島市立武中学校と改名しました。その歴史を踏まえて,第六中学校の「六」をイメージして,校章の「中」の文字がつくられています。

沿革

本校区は,武小学校区・田上小学校区からなり,かつては武村・西武田村・中郷村と呼ばれていた農村地帯です。明治44年9月30日武村,昭和9年8月1日に西武田村・中郷村が市に編入され,更に昭和25年10月1日に伊敷村の市編入により,西ノ谷地区が田上小学校区に編入されました。
しかし,その後,新設校の設置により,昭和45年度から広木住宅を,昭和48年度からは,前ケ迫周辺を漸次紫原中学校区へ変更しました。更に昭和51年度からは田上の一部が明和中学校へ,武の一部が城西中学校へ,そして,昭和59年度からは,西陵小学校区全部と田上小学校区の一部(西下,西上,西ノ谷,上西ノ谷)が西陵中学校へそれぞれ校区変更され,現在に至っています。

地域の特色

北東から南西へ約2Km,北西から南東へ約4kmの本校区は鹿児島中央駅から西の方,武岡山麓及び商業・住宅地区と田上川の川沿いから谷間まで広がる地域,それに新しい造成による団地の3つに大別されます。
このことは,市街地周辺にみられる現象ですが,元来旧市街地の周辺農村地帯であった当地域が時代の変遷とともにベッドタウン化し,最近では徐々にドーナツ化現象の影響をうけ,武地区では過疎の兆しも現れてきています。
住民の方々は教育に関心が高く,PTAや地域行事に積極的に参加されています。

文化財及び遺跡

校区の東北,西田町境には西郷屋敷があります。これは西郷南州翁が征韓論にやぶれて帰郷され,明治6年から4年間西南の役まで居住されました。その際,学者川口雪蓬を同居させ,自らは「武村の吉」と称し,農業の傍ら子弟の教育をされた由緒ある屋敷です。また,島津斉彬公の田上水車館機織場跡,砲台跡,鹿児島師範学校跡などがあります。

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